1984年(昭和59年)、小学5年生の頃、一番仲の良い友達の家にパソコンがあった。『MSX』という機種で、分厚いキーボードにパソコン本体の機能が内蔵されており、家庭用テレビに接続して使えた。パソコンとゲームの中間のような物だった。
ちなみに、ファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売されたのが1983年(昭和58年)で、MSXの発売も同年。私が友達の家でMSXを見たのはその翌年になる。
その頃は、ファミコンを持っている友達の家に毎日のように集まって遊んでいた。ただ、ファミコンを持っている友達はそれほど多くなく、ファミコンは最大でも2人でしか遊ぶことは出来ないので、友達が大勢集まっても2人以外は画面を見てるのみで、正直つまらない。
MSXは、ファミコンと同じようにカセット方式でゲームが出来た。ファミコンのようなキャラクターが楽しい有名なゲームは無かったが、特殊さやチープさがシュールで面白かった。
MSXもパソコンなので、もちろん、プログラムも作れる。とは言っても小学生に高度なプログラムは作れるはずはなく、自分で作れるのは、入力した文字が画面いっぱいに表示されるとか、画面全体が赤や青に点滅するとか、記号の『●』が右から左に動くとか、その程度のものである。それでも、『自分でプログラムを書いてパソコンを使っている』という高揚感があった。
市内の青少年科学館に『パソコンクラブ』があるということを知り、親にお願いして、友達数人でパソコンクラブに通った。
パソコンクラブにあったのは、SHARP『MZ-80』。1970年代の古い機種で、画面、キーボード、データレコーダーが全て一体になっている。全体の大きさは一昔前のお店のキャッシュレジくらい。
画面はiPadなどのタブレットの半分くらいのサイズで、白黒のブラウン管。データレコーダーというのは、簡単に言えばカセットテープデッキ。昔は、パソコンのデータはカセットテープに保存していたのだ。カセットテープだから読み込みは遅い。読み込む時には「ピー、ガガガー」という今のFAXを更に酷くしたような音が鳴る。そしてその音が数分以上ずっと鳴り続けて、プログラムを読み込んでいた。でも、白黒画面にアルファベットが表示されて不思議な音がするなんて、むしろSFっぽくて格好良いとすら思っていた。
パソコンクラブに通い、画面に書き出す『PRINT』、繰り返す『FOR』、条件文期の『IF』、などの基本的なプログラムの構造や流れを教えて貰った。テキストに例文が乗っており、それを打ち込んで正常に動いたら成功。正常に動かずエラーが表示される時は、プログラムを見直して間違いを探して直さなければならない。だが、プログラムに慣れない頃は、間違いがどこにあるのか全く見つけられない。プログラムを理解してるかどうかの最大の違いは、エラーが生じた時にすぐに修正できるかどうか、だと思う。
プログラムを理解していると、どの部分が何をしているのか全体的な意味や流れが分かるので、間違いがあれば違和感に気づく。あとは、目が慣れる、ということもあると思う。英語を見たり聞いたりして目や耳が見慣れて自然に体に入ってくるのと一緒で、プログラムもずっと見ていれば自然に入ってくるようになるのだと思う。
パソコンクラブにはカセットテープのゲームが何本かあり、その中には『野球拳』もあった。パソコンとジャンケンして、勝てば女の子が服を脱いでいく。女の子と言っても、写真ではなく、イラストでもなく、アルファベットや記号を並べて女の子っぽく見せているだけの『アスキーアート』である。それでも、小学生男子には充分に興奮できるゲームだった。『野球拳』をやる為に、私達は早めにパソコンクラブへ行き、カセットテープからゲームが読み込まれるまで何分も待った。
でも、パソコン相手のジャンケンだから、人間側は全く勝てない。当たり前である。こちらから入力した手に合わせてパソコン側は勝てる手を出しているだけなのだから。そこで、『野球拳』のプログラムを表示させて、人間側が勝てるようにプログラムを作り直して、勝てるようにしていた。私は『野球拳』のお陰で条件分岐『IF』を覚えたと言っても過言ではない。(いや、それは流石に過言か)
私の出身市は大きな街だが、実家がある地域は市内でも端っこの田舎で、青少年科学館がある街の中心部に行くにはバスで30分ほどかかった。この時間もまた、小学生にとってはとても楽しい時間だった。帰る時にバスを待ちながら買って食べた駄菓子がとても美味しかった。乗るバスを間違えて全く違う方法に進んでしまい、家に電話して探しにきてもらったこともあった。全てが楽しい思い出である。
自分でプログラムの基本が分かるようになると、私はファミコンよりもパソコンに興味を惹かれるようになった。
パソコンで頑張れば、自分でゲームを作ることもできる。当時はプログラムが掲載されている雑誌が出版されていた。掲載されているのは、全て読者が投稿したゲームのプログラム。その雑誌のプログラムを見ながらその通りに打ち込めば、簡単なゲームが作れた。単色のキャラクターが画面上を動くだけのような初歩的なゲームではあるが、自分で苦労してプログラムを打ち込んだ成果なので、達成感がありゲームに愛着も湧く。
数百円の雑誌を買って自分でプログラムを打ち込めばゲームを作れる。数千円のゲームカセットを買う必要が無い。更に言うならば、自分で考えてプログラムを制作すれば、無料でゲームを作れる。小学生の自分には衝撃的なことだった。
私も雑誌に何度か自作のゲームのプログラムを投稿したが、1度も採用されなかった。残念。
それから、プログラムを組んでゲームを作る為に色んなことを勉強した。2進数や16進数も覚えた。キャラクターを滑らかに動かす為にはSINやCOSなどの計算が必要なことが分かり、三角関数を自分で調べて覚えた。
小学校の卒業文集の『将来の夢』には、私は『プログラマー』と書いていた。
中学生になると、私は部活のほうに一生懸命になり、パソコンを触る時間は大幅に減った。それでも、部活がない時には簡単なプログラムを組んで遊ぶことは続けていた。高校受験に合格した時には『MSX』の後継機に当たる『MSX2+』という機種を買って貰った。
高校時代も部活をやっていたので、パソコンで新しく何かすることはなかったが、それでもパソコンが好きな気持ちは全く衰えておらず、大学は工学部情報工学科を受験し、合格して入学できた。
そして大学4年になり、初めてインターネットに触れることになる。
(※『はじめてのインターネット』参照)