銀野舎
銀野舎小説ショートショート旅立ちの日
[2024/02/01] 小説ショートショート
旅立ちの日
 田舎の駅のホーム。
 僕はこれから片道切符で電車に乗る。夢を叶えるまで実家には帰らない。
「行ってきます」
「元気で頑張ってね」
 そう言って僕を見送る母は、目に涙を溜めている。父はいつもと変わらず寡黙だが、今日は優しい目をしている。僕は両親の息子で本当に良かった。暖かい愛情をたくさん感じられた。決して裕福な家ではなかったが、いつも僕のやりたい事をやらせてくれた。


 母が、父から見えないようにこっそりと僕に封筒を渡してきた。
「どうしても困った時には、この封筒を開けてね」
 封筒には僅かな厚みと重みがある。僕は素直に封筒を受け取ってすぐにカバンに閉まって、無言で頷いた。
 もうすぐ出発時間だ。僕が電車に乗り込もうとすると、父が僕の肩を掴んで強引に振り返らせて、封筒を押し付けてきた。
「持ってけ」
 その一言だけで、父はすぐに背を向けた。大きな背中が微妙に震えている。

 出発の合図のベルが青空に鳴り響いた。ベルの音に負けないように僕は叫んだ。
「ありがとう!」
 今まで両親に感謝の言葉なんて言った事もなかった。でもこの時には自然と気持ちが溢れてきた。
 電車のドアが閉まり、電車が出発しても、ホームにいる両親はいつまでも手を振り続けていた。僕も手を振り続けた。両親の姿をしっかりと目に焼き付けてから、席に座った。


 僕はこれから都会で初めての一人暮らしをする。全て自分でやらなければならない。一人暮らしは自由だ。しかし自由には責任が伴う。僕は一人の人間として責任を持って行動しなければならない。一生懸命に頑張ろう。必死に頑張ろう。夢を叶えるその日まで。

 向こうで住むアパートだけは契約してある。他は何も決まっていない。ネットで検索したり、SNSを見たり、先に都会へ出て働いている友人に色々と教えて貰ったり、できるだけ情報収集はしている。
 向こうに着いたら、まずはご飯を食べに行こう。駅前の美味しいご飯屋さんはもう調べてある。新しいスタートの記念すべき一食目だから、贅沢して良いもの食べよう。田舎では食べられないものがいいなぁ。
 それから不動産屋さんに行って、アパートに行って、先に送ってある宅配便の荷物を受け取って、時間があったらアパートの近所を散策してみよう。とりあえず初日はそんな感じかな。

 明日からはアルバイト探しだ。夢に向かって頑張るけど、その為にはここで生活していかなきゃならない。まずは生活の基盤を作ろう。その為にバイト。いいバイトがあったらいいなぁ。同僚が良い人だったらいいなぁ。バイト終わりにみんなで飲みに行って夢を語り合ったり、バイト仲間でコンパに行ったりするのかなぁ。可愛い女の子いるかなぁ。
 しばらくは苦労するだろうけど、夢を叶えた時には、その苦労さえも楽しい思い出になるだろう。なったらいいなぁ。


 そんなのことを考えていると、スマホの通知音が鳴った。
 スマホの画面を確認すると、母からのメッセージだ。
 さっき別れたばかりなのに、早いよ。思わず笑っちゃう。でも嬉しい。
 母さん、ありがとう。メッセージに返信してスマホを置くと、またすぐにスマホの通知音が鳴った。
 また母さんかな?
 スマホの画面を確認すると、アプリのゲームのイベント開始の時間のようだ。
 感動的な記念日に水を差すなよ。しょうがないなぁ。ちょっとだけゲームを操作しておくか。無課金だと入手できるアイテムが限られるから、ログインボーナスは確実に貰っておかないと。
 でも、無課金だと一度に操作できる回数が限られるので、ゲームは一瞬で終わった。
 もう特に何もすることがなくなってしまった。暇だ。

 さて、ところで。
 母さんと父さんがくれた封筒、何だろうね?
 こういう時にくれる封筒って、やっぱりアレだよね。アレしかないよね。
 バイトを始めるとしても、最初の給料日までは収入がない。お年玉とか短期バイトで貰ったお金とかで若干の貯金はあるけど、本当に若干だ。一人暮らしに必要なものを買って揃えなきゃならないけど、ざっくり計算したら、正直、足りない。一人暮らしは大変だ。
 あと、ついでに、出来れば、服を買って、フィギュアを買って、スマホのアプリのゲームに課金して、とにかく色々とお金がかかる。一人暮らしだからなぁ。一人暮らしは寂しいから気を紛らわせるものが必要だ。
 心細いなぁ。苦しくて心が痛い。この苦しさを解消したい。どうしよう。あぁ、今がまさに「困った時」だ。よし、封筒を開けよう。
 僕は母の封筒を軽く振って、中のものを出した。


 封筒からは数枚の便箋が出てきた。開いて見ると母の字だ。母から僕への手紙。
「お久しぶりですね。元気にしていますか?あれから何年経ちましたか?きっと貴方のことですから、本当に困ってどうしようもなくなるまでこの封筒を開けてないことでしょう……」
 僕は、便箋を何度もめくって見た。間に挟まっていないか?裏に貼り付いていないか?もしかして何かの暗号か?何度も何度も何度も何度も何度も見た。封筒の中も何度も覗いた。何度も何度も何度も何度も何度も覗いた。だが、封筒に入っていたのは数枚の便箋だけで、便箋を出した封筒は空だった。

 でも、僕にはもうひとつある。父の封筒だ。こちらの封筒の方が分厚くて重い。封筒のフタがしっかりノリ付けされていて中のものが落ちないようになってる。これは間違いなく大切なものが入っている。アレだろう。
 僕は父の封筒の端を破いて開けた。ちょっと力が入りすぎてビリビリに破れてしまったが、中のものが破れていなければいい。
 勢いよく封筒を振ると、中のものが飛び出てきた。

 急いで拾って見てみると、写真だ。家族旅行の記念写真。変なポーズで爆笑している僕。筋骨隆々で真顔の父。お洒落して微笑んでいる母。まだ小さい僕と、まだ若い両親。そんな幸せな家族写真が何枚も入っている。成長して大きくなっていく僕と、細くなって白髪が増えていく両親。父はずっと真顔だ。1枚ずつめくっていき、最後の1枚になった。
 最後の1枚は、父の笑顔の自撮りだった。僕は父の笑顔を初めて見た。


 父の写真を見ながら、母の手紙をもう一度読んだ。
 僕を信じて勇気づけてくれる両親。父の優しい笑顔と、母の暖かい言葉。
「貴方は必ず夢を叶えられます。私達はいつまでも貴方の味方です。頑張ってね」

 電車は心地よく揺れて眠気を誘う。車窓から見える景色がものすごいスピードで流れていく。僕の田舎が遠ざかっていく。僕は夢を叶えるまで実家には帰らない。
「でも、おじいちゃん家に行ったら、お小遣いくれるかなぁ……」
 僕はスマホを手に取って、アプリのアイコンをタップした。
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